彫宇は、甲吉のそばに来て蹲ると、伯父さんがきている、と繰返した。

「急ぎの用事らしいや。仕事は切りあげていいぜ」

男は、多分仕事をもってきたのだ。それは金になる。

だが、男が仕事と一緒に屈辱と危険をもってきていることを、彫宇は知らない。


「はやく行った方がいい」

「しかし親方。これは、六ツ半(午後七時)までに仕上げる約束だ」

「ま、あとは誰かがやるさ」


外へ出ると、いきなり二月の風が顔のうえを吹きすぎた。

「仕事だ。蕎麦でも喰いながら話すか」

そういうと、徳十はもう一度甲吉をじっと見た。

この掛けもちの下っぴきが、いまも忠実な犬であるかどうかを、露骨に確かめたような、冷酷な眼だった。


甲吉の仕事は、ひとりの女を見張ることだった。

「女?」

「綱蔵の情婦(いろ)だ。この近くに住んでいる」

見張りは、六ツ(午後六時)から五ツ(午後八時)までの間でいい。

上野の鐘が、六ツを告げた。